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Noiaillustration aka Noia (Juiz de Fora, Brazil) - XIII - Descontraindo, 2014     Drawings: Ink

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Noiaillustration aka Noia (Juiz de Fora, Brazil) - XIII - Descontraindo, 2014     Drawings: Ink

「日本の森や林は、本当は暗いんです。入っていくと、どこかおっかなくてゾクゾクするんですよ。何かいるって感じるんですね。」

「日本人にとっては、神様って闇の中にいるんですよ。ときどきは光の中にも出てくるかもしれないけど、いつもはどこかの森の奥深いところにいたり、山の中に住んでたり、そこへ”依代”を建てると、ふらっとそこへやってきたりする。

ですから、沖縄のほうに残っている一番原形に近い神社は、社といっても拝殿はあるにしても御神体は、ただの木だったり石だったりするんです。それも、ピカピカ輝いていたりせず、うっそうと暗いところにシーンとして、蝶々がハタハタと飛んでたりして、どこか不気味なんですよ。

前に子供たちと行ったら、”こわい、こわい”って言うんです。なにかがいる気がする。その”こわい”という気持ちが、日本人にとっては、日本人にとってはある種の森とかそういうものに対する尊敬の念で・・ようするに、原始宗教、アニミズムなんですね。”何かがいる”みたいに自然とは混沌としているんですよ。”入らずの森”というのは、あちこちの土地にあるんだけど、そこへ行くと山歩きでさんざん山仕事やっている人間でもね、なにかあるって感じがするそうです。

突然、恐怖に襲われて、あそこには入らないほうがいいってことになるらしいのね。そういうことってあるんです。それは何だかわからないけど、たぶんぼくはあると思うんですよ。五感だけで感じられるものだけじゃないでしょう、世界というのは、別にオカルトを信用してるわけじゃないですよ。

この世界は人間のためだけにあるんじゃないんだから、そういうものがあってもいいと思うんです。

だから、ぼくは人間のために必要だから森を残そうっていうふうなその能率的な発想で自然を考えるのは、なんかやっぱり違うんじゃないのかなあという気がしてね・・。

そういうのは自分の心の奥深い暗がりとどこかでつながっていて、そういうものを片方で消してしまうと、自分の心の中にある暗がりもなくなって、なにか自分の存在そのものが薄っぺらいものになるという感じがどこかにあるもんで、気になるんですね。

ぼくは初もうでには行ったことないけど、それはあのキンキラキンの神社の中に神様がいるとはとても思えないからで、やっぱりどっか深山幽谷の中に、日本人の神様っているんじゃないのかなあ(笑)。

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Michael Bernhardt - Force of Mother Nature, 2012      Photography

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Michael Bernhardt - Force of Mother Nature, 2012      Photography

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Ti Lung and Alexander Fu Sheng in the Shaw Brothers’ weapon heavy classic, “Avenging Eagle.”

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